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記事: 紅茶の歴史|実は"世界で最も飲まれているお茶"紅茶のヒストリー

紅茶

紅茶の歴史|実は"世界で最も飲まれているお茶"紅茶のヒストリー

皆さんご存知ですか?世界で最も飲まれているお茶は実は紅茶ということを。紅茶といえばイギリスというイメージがありますが、生産量で見るとインドやスリランカ、アフリカなどイギリス植民地の歴史との繋がりが見えてきます。このコラムではそんな紅茶の歴史を、お茶の始まりからご紹介していきます。

ティーポットとティーカップにいれた紅茶

紅茶のはじまり

紅茶だけでなく、日本の緑茶や中国の烏龍茶、プーアール茶などのお茶はみな “茶の木”(チャノキ/学名:カメリアシネンシス)という同じ植物の木の葉から作られています。原産地は現在の中国雲南省からミャンマーあたりといわれていて、その土地の人々は古くから葉を噛んだり煮出したりして薬として飲んでいたようです。その後、お茶は飲み物として好まれ、次第に各地に広まっていったと考えられています。もともと薬として飲まれていたものが嗜好品となり多くの人が楽しむようになる過程は、紅茶もコーヒーもよく似ています。

◆日本茶の歴史についてはこちらで詳しくご紹介しています。
お茶の歴史|悠久の時を経て進化する日本のお茶の歴史

中国で始まった紅茶の歴史

紅茶の誕生は中国でのお茶の製造技術の進化と大きく関わっています。お茶の原産地中国では4世紀頃には茶の木の栽培が始まっていて、その頃飲まれていたお茶は主に緑茶だったと考えられています。緑茶はお茶の葉を摘んだ後、すぐに加熱することで酸化発酵を止めて作られるお茶なので、お茶の葉の緑色やさわやかな風味が残るのが特徴です。一方、紅茶は茶の木の葉を完全発酵させて作られていて、お茶の葉の色は褐色となり風味には発酵独自の風味が加わります。

半発酵茶の登場

10~13世紀頃の中国では、紅茶の前段階とも言える半発酵茶が登場していたと考えられています。お茶の葉をたまたま放置していたら発酵して茶色く変色してしまったが、飲んでみたら甘い香りのお茶になっていた、というような伝説が各地に残っているようで、どうやって作られ始めたのかについてははっきり分かっていません。これらの半発酵茶は中国で青茶と分類される烏龍茶に近いもので、完全発酵させて作る紅茶の誕生への橋渡しになったと考えられています。特に福建省武夷山地域は中国有数の茶どころとして当時から有名で、今でも良質な烏龍茶が作られることで知られています。

◆同じ葉から作られる紅茶と緑茶は何が違うのでしょうか? 緑茶と紅茶の違いについてはこちらでご紹介しています。
緑茶と紅茶の違い|比べて納得!それぞれの魅力

中国紅茶の確立

17世紀頃、中国において紅茶の製法が確立されました。福建省の武夷山地域で生産された正山小種(ラプサンスーチョン)は、世界で初めての紅茶として、紅茶の歴史の中でも大きな出来事として知られています。正山小種はお茶の葉を完全発酵させた後に松の葉や松脂の煙で燻すため、独特のスモーキーな香りがあるのが特徴です。

ティーカップにいれた祁門紅茶(キーモン)と茶葉

中国では正山小種以外にも世界的な人気を誇る紅茶があり、18世紀末に安徽省祁門県で開発された祁門紅茶(キーモン)は香り高く苦みが少なく、20世紀初頭に開発された雲南省の雲南紅茶はモルティーな香りと濃厚な味わいとそれぞれ特徴があり、紅茶好きを魅了しています。

紅茶と黒茶とブラックティー

紅茶の歴史を見ていくうえで知っておきたいのが、紅茶の呼び方です。中国では紅茶と呼びますが、これは紅茶をいれた時の水色が赤褐色のため「紅茶」となりました。日本にもそれが伝わり定着しましたが、イギリスでは紅茶の葉の色が黒っぽく見えることから「ブラックティー」と呼ばれるようになりました。中国ではプーアール茶などの後発酵茶を「黒茶」と呼ぶので中国の黒茶と英語のブラックティーは同じではなく、それぞれ違うものを指します。

◆日本茶、紅茶、中国茶などお茶の種類についてはこちらで詳しくご紹介しています。
お茶の種類|本格派から入門者まで楽しめるお茶の知識をご紹介

ドコデモ茶こしを使ってデスクで紅茶をいれる

マックマーのドコデモ茶こしなら、ポットがなくてもリーフティーがいれられます。詳しくはこちらから。

ヨーロッパへの伝来とイギリスでの発展

ヨーロッパでの紅茶の歴史は、17世紀初頭、オランダ人によって中国からヨーロッパへお茶が持ち込まれたことから始まります。大航海時代と呼ばれアジアとの貿易が盛んに行われていたこの頃、海上貿易の覇者であったオランダの東インド会社が中国のお茶や日本産の緑茶をヨーロッパにもたらしました。

イギリスへの伝来とお茶文化

17世紀の中頃、当時のイギリスではコーヒーハウスが登場し、コーヒーを飲むだけでなく社交の場としてもたいへん人気となっていました。そんな頃、お茶がイギリスに渡ってきていよいよイギリスでの紅茶の歴史が始まります。当時はまだたいへん高価な贅沢品で、東洋からきた万病に効く薬という触れ込みでコーヒーハウスでの提供が始まりました。

◆コーヒーの歴史はこちらで詳しくご紹介しています。
コーヒーの歴史|世界中で愛されるようになるまでの軌跡

ポルトガル王女の嫁入り

コーヒー文化が先んじてイギリス市民に浸透している中、お茶の人気が高まるきっかけの一つが、ポルトガル王女がイギリス王室へ嫁いできたことと言われています。1662年チャールズ二世とポルトガルのキャサリン・オブ・ブラガンザ王女の結婚により、王女の嫁入り道具としてお茶と砂糖が大量にイギリスに運ばれました。キャサリン王妃は贅沢品であった砂糖入りのお茶を嗜み、またそれを宮廷への訪問者にもふるまったところたいへん人気となり、イギリスの貴族社会にお茶文化が広まっていきました。

イギリス紅茶ができるまで

このポルトガル王女との政略結婚により、イギリスはポルトガルが独占していたお茶の輸入の権利を手に入れ、独自の買い付けを行うようになっていきます。一人の王女はこれほど紅茶の歴史に大きく影響を及ぼしました。

1689年にイギリスは中国と直接取引を始め、お茶文化の浸透に拍車がかかります。ちょうどこの頃、中国に登場していた武夷山の半発酵茶が武夷茶(ボビー茶)と呼ばれ、新しいもの好きの貴族たちの間で評判となったからです。現在の烏龍茶に近い武夷茶は、イギリスの硬水と相性がいいことやミルクとも合うことなどから大人気となり、やがて輸入量は緑茶を超えるほどになります。そしてこの武夷茶をイギリス人の嗜好に合わせ発酵度合いを調整していった結果、現在の紅茶が完成するのです。

ティーガーデンの流行と市民への浸透

一時大人気だったコーヒーハウスは次第に人気が衰え、代わりに18世紀前半に流行したのがティーガーデンでした。コーヒーハウスが女人禁制だったのに対し、ティーガーデンは女性や子供も入場できる娯楽施設で、美しく手入れされた庭園を眺めながらお茶や軽食を楽しむことができ、イギリス市民への紅茶の提供場所として浸透していきます

アフタヌーンティーの誕生

イギリスの紅茶文化に欠かせないアフタヌーンティーは、現在の日本でも大人気となっています。その始まりはある公爵夫人のアイデアだったそうです。

19世紀中頃、当時の貴族の1日の食事は朝食と遅い晩餐の2食だけのことが多く、朝食から夕食までの間が長くお腹が空いてしまうため、公爵夫人は夕方になると使用人に命じてお茶とパンを食べるようになりました。次第に自分だけでなく自邸を訪れるゲストの婦人たちをも、夕方になるとお茶とお菓子でもてなすようになり、それが女性の社交の場としても受け入れられ評判をよびました。後に王室もアフタヌーンティーを主催するほどとなり、アフタヌーンティーはイギリス文化の一つと言える存在となりました。

19世紀中頃のイギリスでアンナ・マリア・ラッセル夫人がゲストの婦人たちアフタヌーンティーを楽しんでいる様子

皆さんよくご存じの紅茶「午後の紅茶」のパッケージに描かれている貴婦人が、アフタヌーンティーの生みの親、第7代ベットフォード公爵のアンナ・マリア・ラッセル夫人です。

紅茶の茶葉がジャンピングする様子

マックマーのジェイプッシュなら、紅茶のジャンピングする様子を眺めながら紅茶をいれられます。詳しくはこちらから。

紅茶文化の拡大と新たな生産地域の台頭

18世紀初頭からイギリスでは紅茶が市民権を得て確固たる人気を誇り、同時に紅茶の需要も爆発的に増えていきます。茶の木が育たないため自国で紅茶を生産できないイギリスは紅茶の入手に長年苦労していて、イギリスの紅茶の歴史は紅茶をどう獲得してきたかという歴史とも言えるほどです。そして18世紀後半から19世紀にかけて紅茶の需要がますます増え、中国以外の地域での紅茶生産の必要性が高まり、特にインドとスリランカ(当時のセイロン)が紅茶生産の新たな中心地として台頭してきました。

インドの紅茶の歴史

1823年、東インド会社社員でもあったイギリスの冒険家が、アッサム地方で野生の茶の木のアッサム種を発見しました。中国種に比べ葉が大きいアッサム種の葉は大量生産に適していて、それまで中国種しかなかったインドの紅茶産業にとって画期的な出来事となりました。1833年にはイギリスの東インド会社の中国貿易独占権がなくなり、お茶の輸入が自由化となったのを契機に、インドでの紅茶生産が本格的に始まりました。

ティーカップにいれたダージリンティーと茶葉

よく知られているダージリンティーは紅茶のシャンパンとも言われ、ダージリン地方で生産されています。ここでの紅茶栽培は1841年に始まり、その独特の風味と香りで世界的に高い評価を得て、セイロンのウバ、中国のキーマンと並び世界三大紅茶と称されるまでになりました。19世紀後半には製茶技術の機械化の導入によりインドの紅茶生産は飛躍的に拡大し国際競争力を高め、現在でもインドは世界有数の紅茶生産国です。

スリランカの紅茶の歴史

スリランカ(当時のセイロン)はもともと世界的なコーヒー産地として知られていましたが、1868年、コーヒーのサビ病が蔓延してコーヒー産業が壊滅的な打撃を受けたため、当時イギリスで大流行していた紅茶の栽培が代わりに導入されました。この頃、ジェームズ・テイラーというスコットランド人が商業的な紅茶栽培を始め成功したのを受け、多くのコーヒー農園が紅茶栽培に転換しました。また1890年にはトーマス・リプトンがスリランカで紅茶の大規模栽培を始め、これまでにないブレンディングの技法をとりいれ新しい紅茶をつくりあげました。

ティーカップにいれたセイロンティーのウバと茶葉

スリランカの紅茶産業は急速に成長し、長らく世界最大の紅茶輸出国として君臨します。セイロンティーは、その高品質と独特の風味で世界的に高い評価を得ており、特にヌワラエリヤ、ディンブラ、ウバなどのハイグロウンティー(高地産紅茶)は、その優れた品質でよく知られています。1972年、セイロンはイギリスからの独立を機にスリランカに国名が変わりましたが、紅茶はセイロンティーというブランドを維持しています。

紅茶の種類についてこちらで詳しくご紹介しています。
紅茶の種類|知ればもっとおいしくなる。紅茶の産地や特徴をご紹介

日本の紅茶の歴史

日本へは150年程前の明治時代にイギリスから初めて紅茶が輸入されました。それはまだ100kgとわずかな量でしたが、日本の上流社会にはヨーロッパ文化への強いあこがれがあり紅茶はたいへん持てはやされたそうです。実は当時の日本では主に輸出用に紅茶の生産も行われていましたが、もっぱら緑茶が飲まれていた中、あえて高い紅茶を飲む人は少なく、紅茶は特別な時に飲む優雅でハイカラなものといった位置付けだったようです。

1927年に日本初の国産紅茶のリーフティーが発売され、ティーバック紅茶の開発等を経て、1971年の輸入自由化を契機に日本の紅茶の消費量は飛躍的に増えました。その後、缶入り紅茶やペットボトル紅茶の登場などもあり、紅茶の楽しみ方は多様化しています。日本産の和紅茶やフレーバーティー、紅茶を使用したスイーツなど、新しい形態が次々と生まれ紅茶への注目がますます高まっています。これからもどんな紅茶の楽しみ方が出てくるのか、目が離せませんね。

紅茶の歴史年表

紅茶の歴史年表

中国で誕生し、シルクロードを経て海路でヨーロッパへ渡り、イギリスを中心に社会、経済、文化など多方面に大きな影響を与え、今や世界中で最も飲まれるお茶となった紅茶。そのストーリーのほんの一部をご紹介しましたが、どんな感想をお持ちになりましたか。紅茶の歴史に思いをはせながら幸福お茶時間をお過ごしください。

◆紅茶をおいしく保存する方法について、こちらで詳しくご紹介しています。
紅茶の賞味期限と保存方法|おいしさを長く保つために

公園のベンチの紅茶をいれた水筒(ティーゴー)とランチボックス

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